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1942年のプレイボールのモデルのプロ野球選手は誰?出演者もネタバレ!

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引用元:http://www.oricon.co.jp/news/2093098/photo/1/

 

ドラマ「1942年のプレイボール」

太賀(たいが)さんが演じる野口二郎

が主人公の野球と戦争を題材にした

四兄弟の物語です。

 

この話のモデルになった野口二郎は

実在の野球選手でプロ入り後の成績

で多くの記録を残したことで「鉄腕」

と称された人物でもあります。

 

ドラマのモデルとなった野口二郎や

登場する出演者は誰なのかについて

調べてみました。

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1942年のプレイボールのモデルは誰?

引用元:https://ja.wikipedia.org

 

このドラマのモデル・野口二郎とは

戦時中と戦後にプロ野球で活躍した

実在の人物です。

 

「1942年のプレイボール」では彼を

中心として野球を通して家族の絆を

深めた4兄弟の姿を描いてます。

 

彼は1919年1月6日生まれで愛知県の

名古屋市に生まれました。

 

高校野球でも名門の中京大中京高校

の前身である中京商業学校で甲子園

に出場したピッチャーです。

 

なんと1937年の夏の甲子園の決勝で

「打撃の神様」川上哲治さんがいる

熊本工業と戦い見事に優勝している

んですね~。

 

その後、旧制法政大学に進学するも

中退して1939年に東京セネタースに

プロ入り。

 

1年目から主力投手として33勝19敗

という驚異的な成績を残しています。

 

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さらにピッチャーとしてだけでなく

当時の日本プロ野球記録である連続

試合安打記録を31試合にのばした

とから、現在の日ハム大谷翔平選手

に匹敵する二刀流だったんですね。

 

現役時代は1946年~1953年まで在籍

した阪急ブレーブスを最後に引退し

引退後は各球団のコーチや二軍監督

などを歴任しています。

 

実働12年で登板517試合、通算237勝

戦前・戦中は5年間で平均登板58試合

平均勝数31勝、平均投球回数は419回

という現在では考えられない仕事を

していたことから『鉄腕』と呼ばれ

ていました。

 

時代が時代とはいえ今では当たり前

になった「先発→中継ぎ→抑え」

分担制では考えられない成績ですね…

 

しかしここまでの成績を残せたのは

ひたすら大好きな野球を続けたこと

だけでなく長男である明さんの存在

が大きくありました。

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出演者とあらすじ&ネタバレ!

 

長男の明さんは明治大学後に中退し

東京セネタースに入団した名投手で

二郎さんら弟たちの憧れの存在だっ

たようですね。

 

しかし、戦時中ということもあって

満州に兵隊として行くことに。

 

太平洋戦争が始まると兵役を終えて

帰国したのですが手榴弾の投げすぎ

で肩を壊しており、プロ野球に復帰

したあとも自信がなくして婚約者の

喜美子(忽那汐里)とも別れようと

するなど自暴自棄になってしまいま

した。

 

かつて弟たちから憧れの存在だった

輝いてた時代の兄・明さんを取り戻

してほしいと二郎さん弟らが野球を

通して絆を強める家族の物語です。

 

いまでは毎日当たり前に野球を見る

ことが出来ますが、戦時中の悲劇の

なかでもたくましく兄弟そして家族

に対する思いや優しさを教えてくれ

る作品なので楽しみですね!

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